私が浜崎さんを歌手として初めて見たのが、
スーパージョッキーという番組でした。

"この子、野島伸司のドラマに出てた娘!”
”歌も歌うんだ...”という程度の認識でした。

まさかここまで売れるとは思ってもいませんでした。


その時歌っていたのが「you」という曲。
テロップに”作詞 浜崎あゆみ”
”へ~作詞もするんだ...”って感じで聴いてたら、

”夏の雲、途切れては、消えていっ~た~”

”なかなかいい感じの詩じゃないw”


まさかここまでの大物になるとは思ってませんでしたから。





その浜崎さん、かなり苦労された方なんですね。


浜崎あゆみの秘密

出生の秘密 
生い立ち
ちょっと引いてしまうくらいの話です。


62 :名無しさん@恐縮です:2011/09/19(月) 04:12:47.08 ID:2bvXxjev0
今年の春、女性セブン悲惨な生い立ちがバレたから~?
精神的な疲労~?
来年の在日選挙権を巡って、だからいきなり結婚したとかあったよね~

よっぽど韓国に帰りたくなくて、ノイローゼになってんじゃないのぉ~?
こんだけ稼いでる人間を貧乏韓国が諦めるとは思えないもんねぇ~


79 :名無しさん@恐縮です:2011/09/19(月) 04:27:22.77 ID:2bvXxjev0
負けないでw頑張ってw

:業界さん@10周年:03/05/05 00:00 ID:FyOli4wz
小学館の女性週刊誌「女性セブン」(4月22日号)に浜崎あゆみサイドから巨大な圧力
かかったのでは!?と伝えられている。内外タイムス(4月9日付)は「一体何があった?
突如発売延期の奇っ怪」と一面トップを飾る。

「8日発売号を12日に1都6県のみで発売、その他は発売中止を決めたもので、・・・・.」
としている。しかし、どういうわけか「女性セブン」は書店に並んでいた。
ページをめくると、特集は浜崎あゆみ。タイトルは「出生の秘密をなぜ隠す!?」で、
浜崎あゆみの悲惨な生い立ちが克明に記述されていた。

浜崎の祖父母は太平洋戦争中、朝鮮半島から日本本土へ移住してきた朝鮮移民
戦後の混乱期の中、朝鮮人としてありとあらゆる迫害を受け、そのまま追われるように
九州の片田舎の部落地区に住みついたが、戦時中の栄養不良過労で目を悪くし
そのまま失明した。その後男子一子を授かるも、子供を食わせるためだけの為
馬車馬のように働いた。しかしその子も19歳でした同じ部落内の結婚が1年で破局。
その後、紆余曲折の末 再婚、浜崎あゆみを出産。しかし在日朝鮮人、部落出身者
という二重のハンデは重くのしかかり、まるで豚小屋のような貧民窟での極貧生活
余技なくされたのだと言う。そんな中で浜崎の父親は病気の為他界した。
浜崎の母親は語る。そんな極貧中で もっとも悲惨で辛かったのは、行政の”し尿処理
さえ受けられず、裏を流れるドブ川で大便小便等の用便を足さなければならなかった
事だと言う。暗い。とてつもなく暗い。まるでこの世の生き地獄かと思わせるような
悲惨さである。こんな悲惨な生活の中で、浜崎あゆみの異常とも言える金や名声への
執着心が徐々に形成されていったのだという。

こんなマイナスイメージを隠し通すため、現在浜崎あゆみは公式BBSも閉鎖し母親も
マスコミの前にいっさい姿を現さず、取材も一切シャットアウトされている、という。

で、今回の事件である。具体的にどこの誰からの圧力かは判明しないが、浜崎サイド
から記事にクレームがつき、写真数枚が差し替えられているのは事実だ。
首都圏では、今日発売されていることが確認されているが他府県については不明。ry

122 :名無しさん@恐縮です:2011/09/19(月) 05:01:10.23 ID:QSN4HnaxO
女性セブンの記事は良くないと思う。誰にでも秘密にしておきたいと思うことは絶対にある。
しかも自分だけではなく家族のことまで秘密を勝手に書くのは人間として最低だと思います。


浜崎あゆみの秘密愛蔵版

これ事実に反してるなら、とんでもない名誉毀損ですよね。
でも浜崎さんサイドから提訴したって話は聞きません。


まあいちいちトイレの落書きにつきあってられないという言い訳もできますけどね。
それにしてもひどすぎる話です。


浜崎あゆみの秘密最新版


小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、
当時は「 浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや

地元商業広告に登場。
その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック
(現:サンミュージックプロダクション)
を紹介され、所属(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに
掲示されているタレント養成所の広告には、
加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。
1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。
1994年、芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字である『﨑』)
に改名し、テレビドラマや映画などに出演していた。
『アイドルオンステージ』などの音楽バラエティ番組で歌を
披露することはあったが、アイドル色が強い活動であった。
アイドル活動中に松浦勝人と知り合い、
1996年末にサンミュージックとの契約が切れた後に
本格的に歌手を目指すことになり、
ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。

1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で
「浜崎あゆみ」としてデビューする。

(引用 ウィキペディア)



あゆはドラマ『ツインズ教師』(93年テレ朝)で
女優としてデビューしたが、その当時から女優業が
自分に合っているのか悩んでいたらしい」(関係者)
そんな悩みを抱えている時期に映画
すももももも(95年)
で共演したのが加藤だった。
「映画の地方ロケでどこにも行けないときなどは、あゆと加藤、
それに共演者の持田真樹の3人でよくカラオケを楽しんでいた
そのころからあゆは抜群に歌がうまく、へたくそな加藤は
あゆに手ほどきを受けていた」(芸能プロ関係者)
2人は、翌年闇のパープルアイ(96年)
でも再共演。「どうやらこの時期に加藤から
『歌手の方が向いている』とアドバイスされたらしい。
悩んでいたあゆは、それ以降本気で
歌手活動を考えるようになった」(音楽関係者)

(引用 東スポ)




回答した人:we_s2_ayuさん

回答日時:2010/5/31 1:07:18
.
あゆは本当に苦労して、本当にすごい人だと思います。

小さいころに父親が家をでていきました。
父親は「すぐに帰ってくる」といったそうです。
母親を「マミー」(今でも)と呼び、ずっと2人暮らしをしていました。
学校から帰ったら、誰も家にいなくて、たまたま鍵を忘れてしまった。とにかく外にいるのが怖くて手で窓ガラスを割って中に入った。血だらけになった・・・というエピソードもあります。
父親が帰ってこなくて、あゆは人間不信になったという感じです。

小学生くらいのときから、福岡のモデル事務所でモデルをしていたそうです。
ある銀行のポスターが目に留まり、サンミュージックにスカウトされます。中3のころから福岡と東京を行き来するような生活をおくり、高校で上京します。このころはグラビアもよくしていました。

でもだんだん今の仕事に満足していない感じ(?)になって、仕事を断るようになります。そのうちに契約がきれ、毎日遅くまで街を彷徨うようになります。

そんなとき、知人の紹介か何かでエイベックスのMAX松浦に出会います。才能を見出され「歌手にならないか」と進められます。最初はやる気がなかったらしいですが、ボイストレーニングのためにニューヨークへ行ったりするうちにだんだんやってみようという気になったらしいです。

知っている範囲で書かせてもらいました。あまり上手く伝え切れませんでしたが、とにかくスゴイ人でスゴイ苦労をしています。
私は本当に尊敬します。